ハワイの伝統クラフト ラウハラ編みについて・・・

ここは私の日常を気の向くまま綴っているブログですが、

ラウハラ編みの記事が多いために、

ラウハラ編みに関する質問や、体験指導の依頼を頂くことがあります。 


ハワイと違って日本では、

ラウハラ編みに関する情報も、体験したり習ったりする機会も

ほとんど皆無であることを理解していますので、


ラウハラ編みに興味を持たれた方や、ご質問のある方には、

できるだけお答えしたいと思いますので、メールをお寄せ下さい。 

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6/03/2008

最後の練習

明日のホイケを前に、最後の練習があった。
昨日仕上げたパウを持っていったら、フラ仲間のケアラとノエが着けるのに手を貸してくれた。
「パウを着たらうまく踊れるわよッ!」と、腰を叩かれて練習開始。
3曲ひと通り踊ったところで、クムが明日の並び順を指示し始めた。
その頃には、次に練習をする最上級のオラパのクラスの人達が集まってきていた。

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このハラウと関わってもう20年以上になる。 そして私は踊らないことを決めていた。このハラウがどんなに厳しいか、先にそれを知ってしまっては、続けられる自信はなかった。
でももしもフラを習う事があるとしたら、このハラウ以外は考えられない。 私のクムはアンティ・ナラニ以外にはいない、これは私にしかわからないけれど、ヒロに住みついたこと、そこで出会い関わってきた人達がいて、今ここで生きていることの意味とどこかで深くつながっている、そういう自分に課したけじめのようなものかもしれない。 いつかもっと詳しく書くことになるだろうけれど・・・・・

とにかく、いくら日本でフラが流行ろうとも、私は踊らない事を決めていた。
ただ一度だけ、私のささやかな思いをアンティに伝えることを試みたことがある。

★1曲だけ踊れるようになりたいんだけど・・・教えてもらえる? 

☆オーケー、何が踊りたいの?

★Ka Uluwehi O Kekai(アンティのお母さんが作った歌)

☆他には?

★他にはわからないなぁ

☆オーケー

この会話をしたのは 舞台の上でソロでアウアナを踊るアンティの姿を初めて見た後だったから、もう2~3年前だけど、基本的にアウアナは教えていなかったこともあり、結局それは実現しないままだった。
それが昨年の秋、アンティがクプナ向けに初めてアウアナのクラスを募集した時に、自分からは応募しなかったものの、私の気持ちを覚えていた人がいて、それをアンティに伝えたのだ。 そしてアンティは私と、もう二人に「私のクラスに来なさい」と言ってくれたのだった。

そのとき一緒に 「あなたも来なさい」、とアンティから声をかけられた友人は、私と同じように、踊らないと決めたことを結局今も守っている。 私の周りにはそういう人が何人もいる。 あそこは他とは違う。 踊りを続ける自信がなかったら、やらないほうがいい。 知りすぎているがゆえに、身を投じることができない、その気持ちはみな同じなのが、私にはよくわかる。 

けれど私は、どうしても Ka Uluwehi O Kekai を踊れるようになりたかった。
それは、その歌にあるシーン、波に洗われるケアウカハの海岸で、揺れる海草を採ってはその香りをかぐ、それは私のイメージする大好きなハワイの光景なのだ。 フラで踊られる曲は、花の香りを歌った曲が多いけれど、私にとっては、ケアウカハという場所、その岩場の波に洗われる海草の香りのほうが、より鮮明に意識を呼び覚まされる。
そしてこの歌を作ったアンティ・イディス・カナカオレの 次女でありハラウ・オ・ケクヒのクム、アンティ・ナラニから踊りを習うことは、私の夢だったのだから。。。

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とりあえずは、見よう見真似で踊っている私を、アンティは見守ってくれている。 この週末、何十回と踊って練習した。 最後の練習のときも例によって最後列の3列目で踊っていたのだけど、並び順の指示が出て、「2列目に入りなさい」 「良かったよ、練習したのね」と言ってもらった。 ホ===・やった~~!!
「歌詞を表現できたら、それはダンスじゃなくてパフォーマンスなのよ」と 常に言われている。もう一度歌詞をしっかり読んで、ホイケに行こう。。。

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