ある時 小笠原へ旅行に行った友人から、ハワイのラウハラ同様、タコの葉を編んで作る工芸があるけれど、あれを作るのは貝殻を使って葉っぱをなめすんだよ、と聞いたことがあって、 貝殻? というのがなんとも・・・ ビーチに座って葉っぱをゴシゴシとやるの? なんだか大変そう というイメージが頭にこびりついてしまった。
それで私はコレクターとしてハワイのラウハラを見続けてきた、と言いたいところだけれど、本当にいい物を見つけるのは簡単ではない。 まず、選べるほどの品揃えをしている店がほとんどない。
もしハワイでラウハラで編んだバッグやバスケットが沢山並んでいる店があったら、それは 残念だけれど Made in Hawaii である可能性は非常に低い。 それらとて、デザイン面と、似たものが大量に存在することさえ気にしなければ、完成度はハワイで作られたものと変わらないので、知らないで使っている人が多いのも現状だと思う。
そういう中から、デザイン的にも気に入るものを見つけるために、ハワイアン系の催しに出店するクラフターたちの作品をこまめにチェックしていたので、ハワイで作られたものと、そうでないものとの見分けはつくようになってきた。 そうしてみると、少し前まで Made in Hawaii のものも、完成度が高いものほど、デザイン的なレベルで似通っていて、一点一点のもつ個性はそれほど重要視されていなかったように思う。
ハワイ文化は、60年代の復興期を向える以前は、西洋文化のパワーに押されて衰退しかけていて、例えばフラも、カヒコ(古代フラ)の踊り手はほとんどいなくなってしまっていたように、ラウハラの技術も、すでに失われてしまったものもあると言われている。 そこから30年ほどの道のりを経て、ラウハラ編みのマスター達が “ハワイの生きる宝” と称されるようになるまでに、ハワイに伝わる文化のひとつとして広く認められるようになった。 編み手による個性的なデザインが作品に現されるようになってきたのは、比較的最近のことなのではないかと思う。 完成度の高いものを作るには、まず熟練を要する、その道のりが必要だったのだろう。
昨年の秋に、これは、と思う作品と出会った。
このポシェット型のバッグは 革のストラップがついていたり、オリジナルの木の釦がついていたり、今の感覚で持てるようにデザインされている。 それだけでもラウハラ編みとしては新しい感覚のこのバッグを見て、私はそれよりも この色の使い方に驚いてしまった。
クオリティーの高いラウハラ編みの作品は、まず最初にラウの色がそろっているのが美しい、とする見方があって、その上で少しシェードの違うもので陰影をつけたり、白いラウと濃い色のラウを組み合わせたり、という技法は知っていたけれど、こんなにも多色のラウを使って、デザインを編み出しているものを見たのはこれが始めてだった。 もちろん色のそろっていないラウを編めば、これに近い感じになる、というのはわかる、けれどこれはそういうことではなく、色の差を考えて、選んで、編まれている。
このバッグを見つけたのは、あるフラのフェスティバル会場内のマーケットだった。 販売ブースのそばに座って、バッグの作者は帽子を編みながら話していた。 このバッグの中でも使われているような、色の濃いラウハラの木のことを話していた。 このように色の濃い葉の採れる木は珍しく、葉っぱを採取している人たちの間でもどこにあるのかは内緒にされているらしい。 なんでも、“その木に案内してもらうのに、目隠しをされた”、とか、“どこそこの道をこう行ったところにある、あの木が・・・” というふうに、特定の木のことを話していた。
私もラウハラ編みを始めてみてわかったのだけど、葉っぱの色や良し悪しは、木によって決まるということ。 同じパンダナスでも、種類は多種あるから、それによっても違いがあるし、育っている環境や、木そのものの健康状態、天候などなど、左右する要素はいろいろあるわけだ。 しかもハワイ島にはハラの木はいくらだってある。 そんな中の一本からある日採った葉っぱ、その葉っぱの色といい艶といい、ホレボレとするようなものに出会ってしまったら。。。。 この木の葉を使って編みたい!という強いモーティベーションにかられてしまうのだろうなぁ。。。
そんなことを考えていたら、私はやっぱり編んでみたくなってしまったのだ。
そして・・・
このバッグを編んだ素晴しいラウハラ・ウィーバーは、自身でもこのポシェットを肩からかけ、自分で編んだ帽子をかぶり、片手には編みかけのラウと道具の入ったルイ・ヴィトンのトートバッグを下げていた。
横にいた友人と私は、あのヴィトンと彼女の編むバッグと、どっちが価値があるかね~~ 比べられないね~と話していた。
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