ハワイの伝統クラフト ラウハラ編みについて・・・

ここは私の日常を気の向くまま綴っているブログですが、

ラウハラ編みの記事が多いために、

ラウハラ編みに関する質問や、体験指導の依頼を頂くことがあります。 


ハワイと違って日本では、

ラウハラ編みに関する情報も、体験したり習ったりする機会も

ほとんど皆無であることを理解していますので、


ラウハラ編みに興味を持たれた方や、ご質問のある方には、

できるだけお答えしたいと思いますので、メールをお寄せ下さい。 

・・・

アドレスは、プロフィール覧にあります。


・・・・・



11/23/2012

日本のクラフト 博多鋏

福岡空港へは何度か離着陸しているが、博多の街へ出るのは始めて。 宿はアクセスが便利な博多駅近辺で、なんと温泉のあるビジネスホテルが見つかった。

博多鋏

そこから徒歩で行かれるところに、どんたくで有名な櫛田神社、川端商店街、博多伝統工芸館博多町家ふるさと館がある。 なにか博多の工芸で面白そうなものはないかと見てまわってると、目に入ったのが博多鋏。 700年前ほど前に唐から持ち帰られて、当時は唐鋏と呼ばれていた日本で最初の鋏だそうな。


実は、私は鋏好き。 コレクションではないけれど、切れそうな鋏とみると買ってしまう。 これ欲しいわ、と思って聞いて見ると、この工芸を受け継いでいる職人さんは一人しかおらず、オーダーで3年待ちとか・・・ ますます欲しくなって、近くにあるらしいお店を探して歩いた。
お店と言っても商品が並んでいるわけではなく、見せてもらうだけでもと思ったのだが、奥から出てきてくれた方が、ちょっと待ってぇ、と棚から箱を手に出してくれたのがこの鋏。 オーダーだったのに連絡が取れなくなってしまった人のなのかもしれない、いいんですか?と言いながらも、この場でいただいて帰れるなんて、なんて素敵なの。

この方が工芸士の高柳さんだった。 ひとつひとつ鉄を鋳って作る高柳さんの鋏には、黒い刻印がされている。 博多献上柄といって、江戸時代に幕府に献上された博多織に見られる意味のある模様で、この鋏に刻されているのは、魔除けの柄だそうだ。 
多目的用に作られているそうだが、相談すれば用途によって刃渡りの長さを何寸でと長短作ってくれる。 しかも この鋏3代は持ちますよ。と。。 真っ黒に色が変わってから持ち込んでくるお客さんもいるとか。 3代かー、私のは誰に譲ることになるんだろう・・・ どこかの日本工芸博物館に寄贈と遺言に書いて置こうか。

私達がいる間にもひとりオーダーに来た人がいた。 3年待ちはちょと大げさだったのかもしれないが、半年先ぐらいとのこと。 私によく鋏を買ってきてくれるもうひとりの鋏好きのために、ひとつお願いして帰る。 どうだ、究極の鋏だよ、とプレゼントする時が楽しみだ。









11/22/2012

編み編む

5個目のバッグ仕上がる

さすがに5個目ともなると、そこここ前のよりは良くなってると思うが、、、、
では次の5個はどうか?  その次の5個はどうか?
編み編む編み編む編み編む編み編む編み編む
編み編む編み編む編み編む編み編む・・・ 呪文ができた
 

11/20/2012

日本のクラフト 竹細工

ラウハラ編みは、竹細工と同じ “編み組み” の技法で作られているので、ラウハラ ウィーバーにとっては最も興味のあるクラフトではないかと思うし、私自身やってみたいことのひとつであるから、竹細工を見に行くことは、クラフトツアーのメインになるのは間違いない。

カゴが好きなので昔から竹でカゴを編んでみたいとは思っていたけれど、都会で目にする竹細工というと、立派な花籠や凝った形のランプシェードなどの芸術作品が多くて、竹は高嶺の花と感じていた。 ところが、ラウハラ編みをはじめたことや、数年前から九州に行くようになって、ちょっと値段ははるけれど普段使いのものがあるのを目にする機会が増えたせいもあり、生活の中で使う為に編まれてきた民具の竹細工に、とても興味が湧いてきた。


竹細工

さすが九州、いたるところに竹林がある。 ハワイのハラの木どころじゃない。 こんなに竹が沢山あって竹細工があるのだから、もっともっと生活の中に竹を使うようになったらいいと思うが、その手間のかかる技術を習得するには何年も要する。 日本人の器用さと勤勉さがあってこそ習得できることであると、つくづく感じてしまう。

今回訪れたのは大分県別府、日本でも最も竹細工の盛んなところと聞く。 運良く、竹の職業訓練校に通っていたという女性を紹介していただいて、その訓練校と別府市竹細工伝統伝統産業会館を案内してもらった。

訓練校では15名ほどが、それぞれのスペースで課題に取り組んでいる。 編む前にヒゴを取る作業。 竹筒を半分、半分と細くなるように割って、さらに厚みを削って、細く薄い竹ヒゴを取る。 それを一日中続けることもあるという。 これだけでも気が遠くなりそうな手間のかかる作業なのは容易にわかる。




竹細工のなかでもとても特徴のある輪弧編み。 難しそうだけど、一度これで何かを作ってみたい。




輪弧編みのかごの底。 補強を施すところなど、民具として伝わってきた技術なのだろうな。




日本にはこうした素晴しい伝統の技術があっても、それで生活していくことができなければ技術者は容易に育ってはいかない。 竹細工の世界には、それがゆえに、芸術作品を作る方向へ行かざるをえないということもあるのだそうだ。

別府はこの竹の職業訓練校のような市のサポートのある素晴しいところだと思う。 私もここへ引っ越してきて竹細工を習いたくなってしまった。



11/18/2012

日本のクラフト 久留米絣

ラウハラ編みの仲間から、私をリーダーにして日本の伝統工芸(クラフト)を見る旅に行きたいという話が来て、それは是非実現させてあげたいと思うことから、先月下見も兼ねて九州へ行ってきた。その時のこと、買ったものなどを資料として書き留めておくことにする。

伝統工芸と言っても、すでに洗練されアートの域に達して観賞用となっている民芸よりは、伝統がありながらも、今も素材作りの工程なども見ることができて、日常に使う楽しみのある民具作りの良さ、面白さを、より深く知りたいと思うところがある。
九州を選んだのは、日本に伝わる竹細工、織物、焼き物などが地域産業として続いているところが比較的多く点在しているということ、イコール見たいものが多いということ。



久留米絣

福岡空港からバスで八女郡広川へ、八女茶で有名な地域でもある。 
ここには久留米絣の工房が十数軒あり、その中で藍染で糸を染めて手機で絣を織っている、藍染絣工房 山村健さん宅へお邪魔した。

途中まで迎えに来てくださって、地域のことなどを聞きながらお宅へ到着すると、母屋と藍工房の間の庭先には、高い物干しに藍で染められた糸や反物が干されている。 藍甕を前に、藍についてのお話を伺い、作品を集めた部屋でお茶をいただきながら、絣の反物などをみせていただく。 



十数個ある藍甕、藍は発酵の調子で染まり具合が変わってくるそうで、甕をかきまぜたり、冬場は温度を保つために和ろうそくの材料のハゼの搾りかすを炊くのが、毎日の作業であるということ。 その作業ひとつひとつが藍に影響するので、とても繊細な作業である。


絣は、考案した柄が織り上がるように括った糸を染め、手機で織って布を作る。
とひと言で書いてしまうとわけもない話に聞こえてしまうが、藍は濃淡を何段階にも染め分けることができるので、その色の濃淡を組み合わせてデザインされた図柄から、経糸と横糸を括る(絞る)位置を割り出し、藍に浸す回数を変えるのはとても高度な技術で、綿密な設計図のような織り図を見せていただくと、その複雑さがうかがわれる。
山村工房では、ご家族ですべての工程にかかわって久留米絣を作っておられるが、驚くほど手間と時間のかかる工程(八女の手仕事より)に、手仕事への愛を感じる。




できることなら丸一反欲しいところだけれど、それなりのお値段のするものなので、ほんの少ししか買えない、けれど洗うほどに味が出る藍染めなので、普段持ったり着たりするものを作りたいと思っている。 エコを叫ぶ時代に、現代の民具がいかに意味があるものなのか、それを見い出して使ってみるのが一番と思うからだ。



久留米、八女地域は、久留米絣以外にもいくつもの伝統工芸が残っている地域なので、仲間と一緒に行くのが楽しみだ。



追記:工房の訪問を快く受けてくださった山村さんご夫婦、帰ってから工房のブログを読んでいたら、ミナペルホネンの皆川さんが作る服が好きと書いてあるのをみつけて、あーどこかでつながってたんだー と、嬉しくなった。



11/16/2012

ラウハラ編みの 編み模様

引き続き極秘プロジェクトのバッグを編んでいて、5個目に突入。さすがに同じ編み方ばかりでは面白くなくて、いくつかの編み方を組み合わせて編んでいる。
この模様は日本で言う杉綾、へリングボーンという編み模様だが、ハワイのラウハラ編みではエケ 'eke と呼ばれている。ハワイ語で袋とか、バッグの意味。
編み方を知らずに写真を見ながら同じになるように編んでみたけれど、頭と手とを両方使いながら根を詰め過ぎたのか、途中で気持ちが悪くなってしまった。
伝統のクラフトであることは、人に伝える時に正しい編み方を伝えなければいけないわけで、早いところ本当の編み方を教えてもらって、指で覚えるようにしたい。

日本の竹細工を紹介しているサイトで、竹の編み模様が沢山載っているのを見ながら、これらの編み方はみなきちんと記録され、どこかに保存されているのだろうな、と思う。
以前にも書いたが、ハワイ民族は口承伝承でものを伝えてきたので、記録に残っていない事が多く、ラウハラ編みの編み模様も、衰退期に失われてしまったものも多いと聞くと残念に思えて、きちんと記録して置くべきだろうと思う。