ラウハラ編みの授業の始めに、このクラスは、「ハワイ語と文化」に分類されているので、ラウハラに関する用語ぐらいは覚えて使うように、と単語のリストを渡された。
hala=パンダナス
lau=葉
lauhala=ハラの葉
kukaa=ハラの葉を輪に重ねたもの
kuu=縦の編み紐
moe=横の編み紐
maka moena=マット編み(平編み)
maka oeno=帽子編み(網代編み) ETC.....
クラスを教えているイリは、ハワイ島の伝統あるハラウ(教室)で子供の頃からフラを踊ってきたので、フラを始めとするハワイアンの伝統文化をきちんと伝えることが大切なのをよく理解している。 それはまずプリミティブな方法を伝えることであると気がつくに至った。
イリから習ったバスケット編みは、ほとんど道具を使わず、手先だけで編むことができる。
乾いたクカアを解いて、葉を一枚ずつローラー(製麺機で代用)を通して平たく伸ばしてから、このラウハラ・ストリッパーを使い、適当な巾のテープに切っていく。
この道具、ラウハラ・ストリッパーは木箱に開けた細長い溝の中に1/8インチ(3ミリぐらい)の厚さの小さな板が何枚も並んで入っていて、その間にカッター・ブレードまたはシェーバー用の替刃をはさんで固定する様になっている。
1/8インチ、1/4インチ、1/2インチ・・・というように、好きな巾に替刃をはさむ位置を調節し、上に葉をのせて引くと、一度に何本かの編み材に切ることが出来る。
最初は簡単に編めるように、1インチ(2.5センチ)巾に切った。 切ったラウを柔らかくするために、水を含ませたタオルの上にラウをのせ、上からナイフの背で押さえながらラウを引くか、直接ラウにナイフの背やはさみの背をあてがって引く。作業中は乾燥した葉がヒビ割れるのを防ぐために、時々霧吹きで水かけながら編み進んでいく。。
編み方は”Lock”と言って、ひと編みごとに葉を折って固定しながら編んでいく方法だ。
そして完成したのが、左のバスケットと右のバッグのようなもの。上端の始末を違う方法でやってみた。
6/27/2008
6/23/2008
6/16/2008
'Aha Puhala O Puna
週末に、プナ地域のラウハラハラ編みのクラブ、'Aha P uhala O Puna の集まりがあった。 ハワイの伝統工芸の伝達と普及に努めるグループは、月一度集まって、ラウハラ編みに関する情報や作り方の指導、ハワイアン・クラフトのデモンストレーションに出向するなどの活動をしている。 この日は7月のイベントで配 る為の、簡単に作れるブレスレットのキットの準備をしたので、私もひとつ作ってみた。
最近あることからブレスレット作りを始めた。 ラウハラ編みの技術は初心者だけれど、見る方に関してはうるさいと言える。 そうなると、自分で作って満足がいくのはまだ程遠い。 けれど、ブレスレットのような比較的簡単な作業でいながら、細かい注意を必要とする物に、技術の上達が期待できるような気がする。 ラウハラの特性をつかんでいく、というようなことかな。
この日は先月教えてもらった小型のパウチの作り方を復習するつもりでいたけど、隣に座って作業をしている人と話しをしているうちに、クラブのメンバー達ともっと知り合っておくのもいいかもしれないと思い、手を休めて話しかけてみることにした。 その中に、勤め先の同僚のお母さんがいて、その人はラウハラ編みを教えていたことがあると聞いていたので、そのことを訊ねてみた。
アダルト・スクールでの週2回の授業が終わり、今の段階では月1回のクラブの指導ではなかなか覚えられないとわかったので、他にも教えてくれる人をみつけたかった。 その人ミセス・カモクは、「もう今は教えてないのよ、だけど、コナ(ハワイ島の西側)で採ったラウ(葉)をあげるから取りにきなさい」 と言ってくれた。 嬉しい!ウレシイ!! コナのラウは白くて質もいいと聞いてはいたけれど、なかなか採りに行くチャンスがなかった。 自分でラウを採りに行くのはいいのだけれど、時間の許す範囲でとなると、どうしても場所が近場になってしまうし、ラウの選び方というのが今ひとつ自分で納得できていないので、良し悪しを知るためにも、経験者がいいと言うものを使ってみたか ったのだ。
そして、いただいたのがこれ。 見るからに柔らかそう、早く編んでみたいな===
それにしても・・・・・ 道具はもらえるわ、葉っぱももらえるわ、資料は届くわ、で、私はこのハワイ伝統文化を次の世代に伝えるために天から降りてきたの? と思いたくなるほど次々と環境が揃ってくる。 なんだか不思議な感じがするほどトントンとうまく運んでいる。
今まで自分の仕事としてやってきた縫い物が、最近とても自然にできるようになったと感じている、どうすればいいのか、自然に頭と手が動くようになっているなーと感じていたところだった。
ということは次へのチャレンジが始まったのかな?
帽子が編めるようになりたい===、できれば縫い物と同じくらいに自然に・・・
最近あることからブレスレット作りを始めた。 ラウハラ編みの技術は初心者だけれど、見る方に関してはうるさいと言える。 そうなると、自分で作って満足がいくのはまだ程遠い。 けれど、ブレスレットのような比較的簡単な作業でいながら、細かい注意を必要とする物に、技術の上達が期待できるような気がする。 ラウハラの特性をつかんでいく、というようなことかな。
この日は先月教えてもらった小型のパウチの作り方を復習するつもりでいたけど、隣に座って作業をしている人と話しをしているうちに、クラブのメンバー達ともっと知り合っておくのもいいかもしれないと思い、手を休めて話しかけてみることにした。 その中に、勤め先の同僚のお母さんがいて、その人はラウハラ編みを教えていたことがあると聞いていたので、そのことを訊ねてみた。
アダルト・スクールでの週2回の授業が終わり、今の段階では月1回のクラブの指導ではなかなか覚えられないとわかったので、他にも教えてくれる人をみつけたかった。 その人ミセス・カモクは、「もう今は教えてないのよ、だけど、コナ(ハワイ島の西側)で採ったラウ(葉)をあげるから取りにきなさい」 と言ってくれた。 嬉しい!ウレシイ!! コナのラウは白くて質もいいと聞いてはいたけれど、なかなか採りに行くチャンスがなかった。 自分でラウを採りに行くのはいいのだけれど、時間の許す範囲でとなると、どうしても場所が近場になってしまうし、ラウの選び方というのが今ひとつ自分で納得できていないので、良し悪しを知るためにも、経験者がいいと言うものを使ってみたか ったのだ。
そして、いただいたのがこれ。 見るからに柔らかそう、早く編んでみたいな===
それにしても・・・・・ 道具はもらえるわ、葉っぱももらえるわ、資料は届くわ、で、私はこのハワイ伝統文化を次の世代に伝えるために天から降りてきたの? と思いたくなるほど次々と環境が揃ってくる。 なんだか不思議な感じがするほどトントンとうまく運んでいる。
今まで自分の仕事としてやってきた縫い物が、最近とても自然にできるようになったと感じている、どうすればいいのか、自然に頭と手が動くようになっているなーと感じていたところだった。
ということは次へのチャレンジが始まったのかな?
帽子が編めるようになりたい===、できれば縫い物と同じくらいに自然に・・・
6/11/2008
ラウハラ編みを習いに
ラウハラ編みをやりたいと思いだしたら、すぐに先生がみつかった。
ハワイ州の教育機関に、コミュニティ・スクールス・フォー・アダルツというコースがあって、そこでは主に夜間地元の公立学校の教室を利用し、2~3ヶ月間単位で大学入学の準備過程や、語学、パソコン、アート、趣味等など、幅広い内容で基礎知識を学べるプログラムが用意されている。
その中のコースで「ハワイアン・ランゲージ&カルチャー/ラウハラ・ウィービング」を、知人が教えるという話を聞いてさっそく登録。
週2回、一回が2時間で3ヵ月間というコース。 3ヶ月分の授業料がたったの10ドル!
1月からイリと言う名の彼女がアートを教えている ケアウカハ小学校の教室へ通うことになった。 仕事の都合で毎回1時間しか出ることができないけれど、ここで基礎ができるようになれば嬉しい。 同僚マーシャも私に付き合って来てくれることになった上、ラウハラを切る道具をプレゼントしてくれた。
最初の授業は、葉っぱを採集してトゲを取ったり汚れを落としたりの下準備、そして葉をテープ状に切ったり、なめしたりと、最終的に編む素材の準備ができるまで、慣れないとかなりの時間がかかってしまう。
こんな原始的な方法が今尚受け継がれ、習いたい人がいるという。
いまではクラフトとかアートという人の目に触れるカテゴリーに位置づけられているけれど、昔は単純作業の熟練工の仕事としか見なされていなかったのではないだろうか?
その熟練した技を教えられる人が今も残っているのはありがたいことだと思う。
私も基礎から初めて帽子が編めるようになるまでやってみたいと思う。
前述のハワイのコミュニティ・スクール
大学準備過程などの特定のコースでなければ、簡単に登録できるので、日本からハワイに長期滞在で来ている人たちも、よくこの英語コースに通っている。ハワイの各島のメジャーな都市にあるので、興味のある人の為に、URLはこちら Community Schools for Adults
ハワイ州の教育機関に、コミュニティ・スクールス・フォー・アダルツというコースがあって、そこでは主に夜間地元の公立学校の教室を利用し、2~3ヶ月間単位で大学入学の準備過程や、語学、パソコン、アート、趣味等など、幅広い内容で基礎知識を学べるプログラムが用意されている。
その中のコースで「ハワイアン・ランゲージ&カルチャー/ラウハラ・ウィービング」を、知人が教えるという話を聞いてさっそく登録。
週2回、一回が2時間で3ヵ月間というコース。 3ヶ月分の授業料がたったの10ドル!
1月からイリと言う名の彼女がアートを教えている ケアウカハ小学校の教室へ通うことになった。 仕事の都合で毎回1時間しか出ることができないけれど、ここで基礎ができるようになれば嬉しい。 同僚マーシャも私に付き合って来てくれることになった上、ラウハラを切る道具をプレゼントしてくれた。
最初の授業は、葉っぱを採集してトゲを取ったり汚れを落としたりの下準備、そして葉をテープ状に切ったり、なめしたりと、最終的に編む素材の準備ができるまで、慣れないとかなりの時間がかかってしまう。
こんな原始的な方法が今尚受け継がれ、習いたい人がいるという。
いまではクラフトとかアートという人の目に触れるカテゴリーに位置づけられているけれど、昔は単純作業の熟練工の仕事としか見なされていなかったのではないだろうか?
その熟練した技を教えられる人が今も残っているのはありがたいことだと思う。
私も基礎から初めて帽子が編めるようになるまでやってみたいと思う。
前述のハワイのコミュニティ・スクール
大学準備過程などの特定のコースでなければ、簡単に登録できるので、日本からハワイに長期滞在で来ている人たちも、よくこの英語コースに通っている。ハワイの各島のメジャーな都市にあるので、興味のある人の為に、URLはこちら Community Schools for Adults
6/09/2008
ホイケ
今回のホイケ(発表会)は、ハラウの中だけで行われる非公式のイベントとは言え、6つのクラスの生徒達と、見学に来た家族などで大勢人が集っていた。
ハラウ全体の行事に参加するのは初めてだけれど、在籍している人達の中には日本からの留学生も数名いるし、仕事を通して知っている人は多数いるので、顔を見ると皆声をかけてくれる。
すでに仲間がいると思うと心強いけれど、この先は後輩として厳しい評価も受けることになるのだろうなぁ。
ハラウの中に入ると、アンティ・ナラニ、アンティ・プア、アンティ・ウルの三人が揃って椅子に座っていた。 純粋なハワイアンとして私が知ることになったカナカオレ姉妹、ハワイアンル・ネッサンスの後のフラの伝承に多大な貢献をしてきたクム達。 この三人の前で、この半年間に私が何を習ったのかを見せるなんて、引き締まるどころか、身が縮む思いだ。 彼らと出会った当初は、ハワイ語もわからない日本人の私が、ハワイアン伝統のフラを習うなんて考えられなかった。 今でも、アンティ・ナラニのアウアナだから、習わせてもらっていると思う。 このめぐり合いに感謝です。 楽しまなくちゃ。
アンティ自らクラスを紹介し、「アウワナは教えないの?と訊かれたから始めたのがこのクラスです。フラ・ライト(軽いフラ)ってことになってるんだけど、スカイロケットらしいです(笑)」と。 アンティのウクレレはすごくテンポが速いので、付いていかれれば逆に踊り易いはず。
踊っている間、”次は左足”とか、”ここはえっと~ ワン、ツー、スリー、フォー”とか頭をよぎる。
あっという間に3曲。 終わったらかなり汗をかいていた。 最後の数日で特訓したお陰で、1、2か所で少しはずしたけれど、練習前に比べたら上出来だったと思う。
群舞の練習はしていないので、グループとして側から見たら全然揃っていなかったはずだけど、クプナ(中高年)のアウアナのクラスに、たくさん拍手を頂きました。 いつかこのメンバーで舞台に立つ日が来るのだろうか? ? ?
とりあえずは無事ホイケ・デビューを果たし(笑)、これから本格的なフラのジャーニーが始まると思うと、ワクワクしてくる。 同時にやっとゆっくりラウハラが編めると思うと、ウフフ~!
ハラウ全体の行事に参加するのは初めてだけれど、在籍している人達の中には日本からの留学生も数名いるし、仕事を通して知っている人は多数いるので、顔を見ると皆声をかけてくれる。
すでに仲間がいると思うと心強いけれど、この先は後輩として厳しい評価も受けることになるのだろうなぁ。
ハラウの中に入ると、アンティ・ナラニ、アンティ・プア、アンティ・ウルの三人が揃って椅子に座っていた。 純粋なハワイアンとして私が知ることになったカナカオレ姉妹、ハワイアンル・ネッサンスの後のフラの伝承に多大な貢献をしてきたクム達。 この三人の前で、この半年間に私が何を習ったのかを見せるなんて、引き締まるどころか、身が縮む思いだ。 彼らと出会った当初は、ハワイ語もわからない日本人の私が、ハワイアン伝統のフラを習うなんて考えられなかった。 今でも、アンティ・ナラニのアウアナだから、習わせてもらっていると思う。 このめぐり合いに感謝です。 楽しまなくちゃ。
アンティ自らクラスを紹介し、「アウワナは教えないの?と訊かれたから始めたのがこのクラスです。フラ・ライト(軽いフラ)ってことになってるんだけど、スカイロケットらしいです(笑)」と。 アンティのウクレレはすごくテンポが速いので、付いていかれれば逆に踊り易いはず。
踊っている間、”次は左足”とか、”ここはえっと~ ワン、ツー、スリー、フォー”とか頭をよぎる。
あっという間に3曲。 終わったらかなり汗をかいていた。 最後の数日で特訓したお陰で、1、2か所で少しはずしたけれど、練習前に比べたら上出来だったと思う。
群舞の練習はしていないので、グループとして側から見たら全然揃っていなかったはずだけど、クプナ(中高年)のアウアナのクラスに、たくさん拍手を頂きました。 いつかこのメンバーで舞台に立つ日が来るのだろうか? ? ?
とりあえずは無事ホイケ・デビューを果たし(笑)、これから本格的なフラのジャーニーが始まると思うと、ワクワクしてくる。 同時にやっとゆっくりラウハラが編めると思うと、ウフフ~!
6/03/2008
最後の練習
明日のホイケを前に、最後の練習があった。
昨日仕上げたパウを持っていったら、フラ仲間のケアラとノエが着けるのに手を貸してくれた。
「パウを着たらうまく踊れるわよッ!」と、腰を叩かれて練習開始。
3曲ひと通り踊ったところで、クムが明日の並び順を指示し始めた。
その頃には、次に練習をする最上級のオラパのクラスの人達が集まってきていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
このハラウと関わってもう20年以上になる。 そして私は踊らないことを決めていた。このハラウがどんなに厳しいか、先にそれを知ってしまっては、続けられる自信はなかった。
でももしもフラを習う事があるとしたら、このハラウ以外は考えられない。 私のクムはアンティ・ナラニ以外にはいない、これは私にしかわからないけれど、ヒロに住みついたこと、そこで出会い関わってきた人達がいて、今ここで生きていることの意味とどこかで深くつながっている、そういう自分に課したけじめのようなものかもしれない。 いつかもっと詳しく書くことになるだろうけれど・・・・・
とにかく、いくら日本でフラが流行ろうとも、私は踊らない事を決めていた。
ただ一度だけ、私のささやかな思いをアンティに伝えることを試みたことがある。
★1曲だけ踊れるようになりたいんだけど・・・教えてもらえる?
☆オーケー、何が踊りたいの?
★Ka Uluwehi O Kekai(アンティのお母さんが作った歌)
☆他には?
★他にはわからないなぁ
☆オーケー
この会話をしたのは 舞台の上でソロでアウアナを踊るアンティの姿を初めて見た後だったから、もう2~3年前だけど、基本的にアウアナは教えていなかったこともあり、結局それは実現しないままだった。
それが昨年の秋、アンティがクプナ向けに初めてアウアナのクラスを募集した時に、自分からは応募しなかったものの、私の気持ちを覚えていた人がいて、それをアンティに伝えたのだ。 そしてアンティは私と、もう二人に「私のクラスに来なさい」と言ってくれたのだった。
そのとき一緒に 「あなたも来なさい」、とアンティから声をかけられた友人は、私と同じように、踊らないと決めたことを結局今も守っている。 私の周りにはそういう人が何人もいる。 あそこは他とは違う。 踊りを続ける自信がなかったら、やらないほうがいい。 知りすぎているがゆえに、身を投じることができない、その気持ちはみな同じなのが、私にはよくわかる。
けれど私は、どうしても Ka Uluwehi O Kekai を踊れるようになりたかった。
それは、その歌にあるシーン、波に洗われるケアウカハの海岸で、揺れる海草を採ってはその香りをかぐ、それは私のイメージする大好きなハワイの光景なのだ。 フラで踊られる曲は、花の香りを歌った曲が多いけれど、私にとっては、ケアウカハという場所、その岩場の波に洗われる海草の香りのほうが、より鮮明に意識を呼び覚まされる。
そしてこの歌を作ったアンティ・イディス・カナカオレの 次女でありハラウ・オ・ケクヒのクム、アンティ・ナラニから踊りを習うことは、私の夢だったのだから。。。
~~~~~~~~~~~~~~~
とりあえずは、見よう見真似で踊っている私を、アンティは見守ってくれている。 この週末、何十回と踊って練習した。 最後の練習のときも例によって最後列の3列目で踊っていたのだけど、並び順の指示が出て、「2列目に入りなさい」 「良かったよ、練習したのね」と言ってもらった。 ホ===・やった~~!!
「歌詞を表現できたら、それはダンスじゃなくてパフォーマンスなのよ」と 常に言われている。もう一度歌詞をしっかり読んで、ホイケに行こう。。。
昨日仕上げたパウを持っていったら、フラ仲間のケアラとノエが着けるのに手を貸してくれた。
「パウを着たらうまく踊れるわよッ!」と、腰を叩かれて練習開始。
3曲ひと通り踊ったところで、クムが明日の並び順を指示し始めた。
その頃には、次に練習をする最上級のオラパのクラスの人達が集まってきていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
このハラウと関わってもう20年以上になる。 そして私は踊らないことを決めていた。このハラウがどんなに厳しいか、先にそれを知ってしまっては、続けられる自信はなかった。
でももしもフラを習う事があるとしたら、このハラウ以外は考えられない。 私のクムはアンティ・ナラニ以外にはいない、これは私にしかわからないけれど、ヒロに住みついたこと、そこで出会い関わってきた人達がいて、今ここで生きていることの意味とどこかで深くつながっている、そういう自分に課したけじめのようなものかもしれない。 いつかもっと詳しく書くことになるだろうけれど・・・・・
とにかく、いくら日本でフラが流行ろうとも、私は踊らない事を決めていた。
ただ一度だけ、私のささやかな思いをアンティに伝えることを試みたことがある。
★1曲だけ踊れるようになりたいんだけど・・・教えてもらえる?
☆オーケー、何が踊りたいの?
★Ka Uluwehi O Kekai(アンティのお母さんが作った歌)
☆他には?
★他にはわからないなぁ
☆オーケー
この会話をしたのは 舞台の上でソロでアウアナを踊るアンティの姿を初めて見た後だったから、もう2~3年前だけど、基本的にアウアナは教えていなかったこともあり、結局それは実現しないままだった。
それが昨年の秋、アンティがクプナ向けに初めてアウアナのクラスを募集した時に、自分からは応募しなかったものの、私の気持ちを覚えていた人がいて、それをアンティに伝えたのだ。 そしてアンティは私と、もう二人に「私のクラスに来なさい」と言ってくれたのだった。
そのとき一緒に 「あなたも来なさい」、とアンティから声をかけられた友人は、私と同じように、踊らないと決めたことを結局今も守っている。 私の周りにはそういう人が何人もいる。 あそこは他とは違う。 踊りを続ける自信がなかったら、やらないほうがいい。 知りすぎているがゆえに、身を投じることができない、その気持ちはみな同じなのが、私にはよくわかる。
けれど私は、どうしても Ka Uluwehi O Kekai を踊れるようになりたかった。
それは、その歌にあるシーン、波に洗われるケアウカハの海岸で、揺れる海草を採ってはその香りをかぐ、それは私のイメージする大好きなハワイの光景なのだ。 フラで踊られる曲は、花の香りを歌った曲が多いけれど、私にとっては、ケアウカハという場所、その岩場の波に洗われる海草の香りのほうが、より鮮明に意識を呼び覚まされる。
そしてこの歌を作ったアンティ・イディス・カナカオレの 次女でありハラウ・オ・ケクヒのクム、アンティ・ナラニから踊りを習うことは、私の夢だったのだから。。。
~~~~~~~~~~~~~~~
とりあえずは、見よう見真似で踊っている私を、アンティは見守ってくれている。 この週末、何十回と踊って練習した。 最後の練習のときも例によって最後列の3列目で踊っていたのだけど、並び順の指示が出て、「2列目に入りなさい」 「良かったよ、練習したのね」と言ってもらった。 ホ===・やった~~!!
「歌詞を表現できたら、それはダンスじゃなくてパフォーマンスなのよ」と 常に言われている。もう一度歌詞をしっかり読んで、ホイケに行こう。。。
6/02/2008
もうすぐホイケ
ホイケ(フラの発表会)の日にちの告知から2週間。。
3曲マスターするには、週1回の教室の練習ではとても追いつかないので、フラ仲間にお願いしてビデオに撮らせてもらった。
ビデオを見ながらひとりで踊って練習し、なんとか一番苦手だったHe Aloha No O Honoluluを覚えることが出来た。 と言っても、一人で覚えたものはまったく自信ないんだなぁ。。。特にステップが・・・
クム・ナラニはすでに次の世代の姪たちにクムの資格を与えているから、今はずっと柔らかくなって、前みたいに厳しくないよ、と以前からの生徒だったフラ仲間は言うけれど、「これは私のフラなんだから、勝手に振り付けしてあなたのフラを踊るんじゃないのよ!」と、見よう見真似で形に集中して踊れていない私がギクッとする言葉が飛んでくる。
今日はパウ(フラの練習用スカート)を作った。 生成り木綿の無地6ヤード(5.4メートル)、ウエストはゴムではなく、紐を6段通してギャザーを寄せる。 着るときは腰に巻いて左脇で紐を縛る。
出来上がってすぐに腰に巻いてみたときに、フラ仲間が言った。 そうして紐を縛るってことは、これで踊りにコミットしますという意味があるんだ と。。。 そうだった、本来はパウを身に着けるにもチャントを唱えるはず、そのチャントはまだ教えてもらっていないので、今日のところとりあえず・ホッ。
と言ってもホッとしてブログ書いてる暇はないはずなので、今日はこれまで。
3曲マスターするには、週1回の教室の練習ではとても追いつかないので、フラ仲間にお願いしてビデオに撮らせてもらった。
ビデオを見ながらひとりで踊って練習し、なんとか一番苦手だったHe Aloha No O Honoluluを覚えることが出来た。 と言っても、一人で覚えたものはまったく自信ないんだなぁ。。。特にステップが・・・
クム・ナラニはすでに次の世代の姪たちにクムの資格を与えているから、今はずっと柔らかくなって、前みたいに厳しくないよ、と以前からの生徒だったフラ仲間は言うけれど、「これは私のフラなんだから、勝手に振り付けしてあなたのフラを踊るんじゃないのよ!」と、見よう見真似で形に集中して踊れていない私がギクッとする言葉が飛んでくる。
今日はパウ(フラの練習用スカート)を作った。 生成り木綿の無地6ヤード(5.4メートル)、ウエストはゴムではなく、紐を6段通してギャザーを寄せる。 着るときは腰に巻いて左脇で紐を縛る。
出来上がってすぐに腰に巻いてみたときに、フラ仲間が言った。 そうして紐を縛るってことは、これで踊りにコミットしますという意味があるんだ と。。。 そうだった、本来はパウを身に着けるにもチャントを唱えるはず、そのチャントはまだ教えてもらっていないので、今日のところとりあえず・ホッ。
と言ってもホッとしてブログ書いてる暇はないはずなので、今日はこれまで。
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